僕の生家は年末の風物詩としても有名な有馬記念を開催している中山競馬場が近く、自身が短距離走というスピード勝負の部活をしていたこともあり、競馬は長く続いている唯一の趣味です。
初めて競馬を見たのは、ナリタブライアンが勝った1993年の有馬記念。
漆黒の馬体に白のシャドーロール(鼻に着ける馬具)が他をなぎ倒すように圧倒したレースは今も忘れられません。
中学生のころは競馬に携わる仕事がしたいと騎手の仕事に興味を持ったり、大学のころは運営法人(JRA)への就職も考えましたが、いずれも挫折しました。。。
さて、会社・ビジネスの分析をする立場になった今、競馬という存在はまた違った姿に映ります。
よく言われるのは、日本の競馬は「世界で最も興行として成功している国の1つ」という話です。
また、一時期の競馬ブームから馬券の売り上げは落ち込んでいる、とも言われてきました。
今回は、日本の競馬を、「ギャンブル」としてではなく、「産業」として見てみることにします。
※おことわり:今回は分かりやすさを重視し、地方競馬の話を除外し、中央競馬のみについて書いています。
興行としての日本競馬は世界一
冒頭でお伝えした有馬記念は世界一馬券が売れるレースとして知られており、直近の2018年度では436億円でした。
ピークの売上を記録したのはサクラローレルが勝った1996年で、なんと875億円。
これは世界競馬史上最高としてギネスブックにも載っています。
この記録と比較してしまうと、現在の売上はほぼ半減していて、寂しく感じる一方で、そもそも800億円規模というのはトルコやカナダの年間売上高※を1レースだけで超える水準でもあり、当時が異常だったようにも見えます。
※1998年度競馬実績より
有馬記念に限らず、日本の馬券売上は世界と比較しても尋常ではない規模なんです。
少し古い内容になりますが、1998年度における日本の中央競馬は334.1億ドル(およそ3.8兆円 !!)で、2番手のアメリカでも131.1億ドルとなっており3倍近い規模となっています。
主要な国を挙げると、105.0億ドルの香港が3位、85.0億ドルの英国が4位、71.1億ドルのオーストラリアが5位と続いていました。
レース賞金の面で見ても、1レース当たりの平均総賞金額は21.8万ドルであり、アメリカの1.6万ドルや英国の1.6万ドルと比べてしまうと文字通り桁違いです。
日本では、最も賞金の少ない2歳の未勝利戦でも1着賞金が500万円を超えており、海外ではG1でもこの賞金水準の国はざらにあります。
目玉となるレースだけで見れば、日本よりも高額なレースが世界でどんどん生まれています。
現在の最高賞金額はアメリカの「ペガサスワールドカップ」(2017年施行開始)で1着賞金は720万ドル(8億円)。
そこに競馬ファンおなじみの「ドバイワールドカップ」(1996年施行開始)の600万ドル(6.6億円)が続きます。
日本のレースでは有馬記念とジャパンカップが3億円がありますが、これらとはやや見劣りします。
というのも、ペガサスワールドカップとドバイワールドカップとでは賞金の原資が違うためです。
日本と世界の統計データ「【競馬】世界の高額賞金レースランキング」※2の記事によると、ペガサスワールドカップは12頭ある出走枠の権利が各100万ドルで売られ、その販売額が賞金。出走枠を購入した馬主は、レースの着順に応じた賞金だけでなく、馬券売上や放映権料などの競馬開催における純利益を山分けできる権利もあるという、かなり特殊な形態のレースのようです。
また、ドバイワールドカップは石油産国だったUAEが観光立国の目玉としてドバイを盛り上げる意味で、国家予算を使って賞金を出しています(ドバイは馬券販売なし)。
フランスの凱旋門賞やオーストラリアのメルボルンカップなどは大企業がスポンサーとして賞金負担をしており、日本のように賞金のすべてを馬券売上を原資として支払っているのは珍しいようです。
※出典 【競馬】世界の高額賞金レースランキング
https://toukeidata.com/sports/keiba_syoukin.html
馬券を原資とした中央競馬のお金の流れ
おおまかな規模感として、世界で飛び抜けた存在であることを確認した上で、お金がどういう形で流れているのかを確認します。
そもそも、日本では競馬法に基づき、JRA(日本中央競馬会)が中央競馬全10か所の競馬場で競馬を開催し、馬券を販売しています。
競馬場に置かれた券売機で買う以外に場外馬券場、通称ウインズでも馬券を買えますがこれもJRAからの購入になります。
中央競馬とは別の地方競馬は、県や道などの地方公共団体が取り仕切っていますが、今回は説明を省きます。
このような独占販売権を持つJRAは農林水産大臣の監督を受け、日本国政府が資本金を全額出資する特殊法人でもあります。
このJRAの財務書類をみると、お金の流れがよくわかります。
直近の書類(2018年度)をみると、馬券の売上は「勝ち馬投票券収入」として2兆8190億円の収入を得ています。
それが「勝馬投票券諸支払金」として2兆1313億円を支出していて、これがいわゆる馬券の払い戻しとなります。
中央競馬は控除率が25%であり、100円の馬券は買った瞬間から25円を胴元のテラ銭として持って行かれることを意味します。
2兆1313億円 ÷ 2兆8190億円= 75.1%ということからもわかると思います。
つまり、JRAは馬券購入者から1年間の間に6877億円を得た(巻き上げた)ことになります。
この6877億円のうち、JRAは2805億円を国庫納付金として国に納めています。
この国庫納付金は先に挙げた勝ち馬投票券収入の概ね10%であり、株式会社で言えば、株主への配当と国への税金を合わせて支払っている感じですね。
残りの約4000億円がレース賞金や運営費などの原資となります。
競走事業費の項目の中に「競馬賞金」があり、1340億円でした。
勝ち馬投票券収入に対する割合は4.7%なので、100円の馬券のうち5円くらいが賞金に回っているイメージです。
そのほか、競馬事業費として、競馬開催のための費用(865億円)や広報活動などの参加促進費(251億円)なども計上されています。
レース賞金のうち、80%は競争馬のオーナーに支払われ、10%が馬を管理している調教師、5%が騎手に、残り5%が厩務員に分配されます。
このほかに競争馬の母馬を所有する生産者に対してはG1で1着になると130万円(2着52万円、3着33万円)、一般競争でも1着になると32万円(2着13万円、3着8万円)が支払われます。
これだけ生産者を手厚く保護している国は世界的にも例がなく、牧場の貴重な収入源になっています。
これらが全て馬券から賄われているのはすごいことです。
時系列でみた日本の競馬
JRAの資料を長期的にみてみると、1954年度から現在までで売得金額(≒馬券売上)が最も多かった年は1997年度の4兆円でした。
ここをピークに下落が続き、下げ止まったのが2011年で、この時は2兆2935億円。
つまり、ディープインパクトが無敗の三冠を達成して競馬ブームを起こそうが、お構いなしに馬券の売り上げが減り続けたわけです。
これは確かに“競馬終焉”を感じずにはいられませんね。。。
2011年から現在まで緩やかに回復基調にあります。
2011年はくしくもオルフェーヴルがディープインパクト以来の3冠を達成した年でもあります。
(この年の皐月賞は震災で中山競馬場が使えず、東京競馬場で行われていました)
ただ、競馬場入場者数の推移をみると、少し状況が変わってきます。
実はJRA史上最も競馬場への来場者が多かった年は、売上ピークの1997年度ではなく、1975年度なんです。
1975年度は僕自身が生まれていないため、どんな時代だったのかは記録を頼るしかありませんが、この前年の有馬記念のファン投票1位は初期の競馬ブームを巻き起こしたハイセイコーでした。
いわばハイセイコーブームの余韻が残った形だったんでしょうか。
ちなみに1975年のG1勝ち馬をみると、桜花賞・オークスの2冠を達成したテスコガビーや皐月賞・ダービーの2冠を達成したカブラヤオーのほか、阪神3歳ステークスを勝ったテンポイントの名前がありました。
この1975年度の来場者数は1489万人に対して、売上ピーク1997年度が1300万人となっています。
一方で、1975年度の馬券売上は9083億円でしたから、来場者1人につき、馬券を6万円買った計算になるのに対して、1997年度は来場者1人当たりの売上は30万円を超えています。
1997年がどれだけ熱狂的なギャンブルファンに支えられていたのかが分かります。
1975年度以降は来場者が急速に減少し、底を打ったのが1987年で792万人。
この年の有馬記念ファン投票1位はクラシック2冠馬サクラスターオーで、翌年のファン投票1位がタマモクロスで、この年はオグリキャップが中央に移籍した年でもあります。
ここから地方出身の葦毛馬オグリキャップが第二次競馬ブームを巻き起こしていくわけです。
直近5年間の来場者数は610万人~630万人の間で安定している状況です。
まあ娯楽の少なかった時代と比べ、今はスマホなどのゲームをはじめエンターテインメントに事欠かないご時世であることを考えると、まあ仕方ないのかなとも映ります。
今日のところはここまで。